主人の趣味(アマチュア無線)
今日は我輩の主人の趣味の代表である「アマチュア無線」について本人が紹介したいそうだ。
~以下、本人文~
昭和35年(1960年)九州の福岡で「電話級アマチュア無線技士」を開設。
高校1年生で紅顔の美少年?だった。(かな?)
コールはJA6B*Eであった。(現在は再割り当てされている)

昭和37年(1962年)「第2級アマチュア無線技士」の資格取得。その年大阪でJA3FCRを開局。CWとの「馴れ初め」だが、受検時だけで全くその後やらなかった。

以降、当初は会社の寮の屋上に内緒で(勝手に)3エレトライバンダーを揚げて暫くアクティブに運用していた。
当時は未だAM/FMが主な電波形式だったが、小電力でも世界中に良く飛んだものだ。
リグは忘れてしまったが多分TX88A/9R59だったかな?開局時は真空管(817)を使った自作のAM機だった。(SSBの出始めだったが、未だ一般的ではなかった)
その後、一応仕事をしていたので結構忙しかったり、結婚してなかなか「時間と金」に余裕が無くQRTの期間が長くあった。転勤も多かった。(大阪⇔東京⇔福島の間を合計9回行ったりきたりした)
時々は転勤先の会社の社宅(東京都北区や福島県郡山市)でJA3FCR/でQRVしたりしていたが、平成10年(1998年)どうやら東京に居つきそうになった(会社生活も先が見えてきた)ので永年の夢だった「無線三昧」を実現するため「第1級アマチュア無線技士」を受験し合格した。
でも相変わらずCWは受験用の練習のみで実運用にはつながらなかった。(トライしたが挫折した)

平成12年(2000年)「終の棲家」として現在の町田に住むことになり無線の再開を本格的に考えるようになった。
再開に当たっては念願の「CWを中心で!」の想いがありHPで調べるうちに3年前(2004年)現在お世話になっている「A1クラブ」を知った。
主催している方が同じ町田の方だったこともあり早速入会させて頂いた。61.5歳だった。
時々QRVしていた時に使っていた無線機のTS-440Sを手放してFT-1000MPMKⅤを手に入れまずはGPでスタートした。
先の町田のクラブ責任者の方にお願いして「CWの筆おろし?」をして頂いた。Hi!
以前からCWをやりたいと思っていて手に入れていたCQ出版の「モールス練習用CD」や、クラブのHPに入っているARRLのファイルをipodにダウンロードし毎日の通勤で聞きまくった。
でも、「いい歳」して始めたので本当に覚えが悪かった。
ただ、「覚えついでに!」とも思い同年8月の62歳の誕生日を期して「和文モールス」も覚え始めた。
アンテナは、GPで始めたが直ぐに飽き足らなくなり、先の町田の方に屋根馬を譲っていただいて、7/14MHzの2エレメントビーム(HB9CV)と10/18/24/28のDPアンテナを同じ方に手伝っていただいて揚げた。(その後業者に頼んでアンテナの変更と地上高のUPを実施)
と言うことで現在に至るのだが、残念ながら、未だに「欧文モールス」も「和文モールス」も未完成もいいとこである。
コールサインは現住所での再開時再割り当てでもらったJA1HMKと、大阪で開局時もらったJA3FCRを実家を常置場所として移動用の免許として利用させてもらっている。
でも、楽しさは日増しに強くなりCW(モールス)に出会って本当に良かったと感謝している。
特に「A1クラブ」にはクラブ責任者はじめ仲間の皆さんに挫折しそうになる心の弱さを支えて頂きありがたく思っている。
運用実態は、そう言う事もありほとんどがCWであるが、時々は電話(SSB)やディジタル通信(RTTY/PSK32等)も楽しんでいる。
~と言うことらしいが、今のところ「1番、我輩」「2番、アマチュア無線」「3、4が無くて・・」らしい。
前にも書いていたが、他にも趣味として「ゴルフ」と「鮎つり」をするようだが、でも「ほどほどに!せーよ?」と我輩と小間使い(X)に言われているが・・
~以下、本人文~
昭和35年(1960年)九州の福岡で「電話級アマチュア無線技士」を開設。
高校1年生で紅顔の美少年?だった。(かな?)
コールはJA6B*Eであった。(現在は再割り当てされている)

昭和37年(1962年)「第2級アマチュア無線技士」の資格取得。その年大阪でJA3FCRを開局。CWとの「馴れ初め」だが、受検時だけで全くその後やらなかった。

以降、当初は会社の寮の屋上に内緒で(勝手に)3エレトライバンダーを揚げて暫くアクティブに運用していた。
当時は未だAM/FMが主な電波形式だったが、小電力でも世界中に良く飛んだものだ。
リグは忘れてしまったが多分TX88A/9R59だったかな?開局時は真空管(817)を使った自作のAM機だった。(SSBの出始めだったが、未だ一般的ではなかった)
その後、一応仕事をしていたので結構忙しかったり、結婚してなかなか「時間と金」に余裕が無くQRTの期間が長くあった。転勤も多かった。(大阪⇔東京⇔福島の間を合計9回行ったりきたりした)
時々は転勤先の会社の社宅(東京都北区や福島県郡山市)でJA3FCR/でQRVしたりしていたが、平成10年(1998年)どうやら東京に居つきそうになった(会社生活も先が見えてきた)ので永年の夢だった「無線三昧」を実現するため「第1級アマチュア無線技士」を受験し合格した。
でも相変わらずCWは受験用の練習のみで実運用にはつながらなかった。(トライしたが挫折した)

平成12年(2000年)「終の棲家」として現在の町田に住むことになり無線の再開を本格的に考えるようになった。
再開に当たっては念願の「CWを中心で!」の想いがありHPで調べるうちに3年前(2004年)現在お世話になっている「A1クラブ」を知った。
主催している方が同じ町田の方だったこともあり早速入会させて頂いた。61.5歳だった。
時々QRVしていた時に使っていた無線機のTS-440Sを手放してFT-1000MPMKⅤを手に入れまずはGPでスタートした。
先の町田のクラブ責任者の方にお願いして「CWの筆おろし?」をして頂いた。Hi!
以前からCWをやりたいと思っていて手に入れていたCQ出版の「モールス練習用CD」や、クラブのHPに入っているARRLのファイルをipodにダウンロードし毎日の通勤で聞きまくった。
でも、「いい歳」して始めたので本当に覚えが悪かった。
ただ、「覚えついでに!」とも思い同年8月の62歳の誕生日を期して「和文モールス」も覚え始めた。
アンテナは、GPで始めたが直ぐに飽き足らなくなり、先の町田の方に屋根馬を譲っていただいて、7/14MHzの2エレメントビーム(HB9CV)と10/18/24/28のDPアンテナを同じ方に手伝っていただいて揚げた。(その後業者に頼んでアンテナの変更と地上高のUPを実施)
と言うことで現在に至るのだが、残念ながら、未だに「欧文モールス」も「和文モールス」も未完成もいいとこである。
コールサインは現住所での再開時再割り当てでもらったJA1HMKと、大阪で開局時もらったJA3FCRを実家を常置場所として移動用の免許として利用させてもらっている。
でも、楽しさは日増しに強くなりCW(モールス)に出会って本当に良かったと感謝している。
特に「A1クラブ」にはクラブ責任者はじめ仲間の皆さんに挫折しそうになる心の弱さを支えて頂きありがたく思っている。
運用実態は、そう言う事もありほとんどがCWであるが、時々は電話(SSB)やディジタル通信(RTTY/PSK32等)も楽しんでいる。
~と言うことらしいが、今のところ「1番、我輩」「2番、アマチュア無線」「3、4が無くて・・」らしい。
前にも書いていたが、他にも趣味として「ゴルフ」と「鮎つり」をするようだが、でも「ほどほどに!せーよ?」と我輩と小間使い(X)に言われているが・・
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