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JA1HMK RON's BLOG

旧「我輩はロンである」

2013年06月の記事

お手てつないで~~♪



おいらがぐずった時、主人が「お手てつないで~~♪」してくれる!
(時々、下手な唄つき・・・?)
でも、安心して寝れるから不思議!?
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通院!

2週間毎の定期検診?で病院に行ってきたよ!
最近、時々夜中に目が覚めて寝れないんだ!
今朝も4時に起きて騒いだら主人がそのまま起きて相手してくれた。
主人の部屋(無線室)のいつもの専用ベッドに寝かしてくれて、
「お手て繋いで!」状態で子守唄を歌ってくれたのでちょっとは寝れた!
(主人は、疲れているようだが・・?)

でも、それ以外は至って元気だよ!
髪の毛もトリミング後約2週間たったのでだいぶ伸びてきたよ!
(男前・・まではいかんけど・・?)

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以上、元気通信!!!

梅雨本番!皆さんお元気でね?

All Asian DX CW Contest

またまた主人の無線話題だが・・・

先日(6/15~6/17)行われたアマチュア無線のコンテストで「All Asian DX CW Contest」に少しだが参加していた。
モールス信号だけで交信するコンテストである。(別の週に電話も実施される。)

日本を含むアジア地区のアマチュア無線局が全世界を相手に交信し、相手からレポートを貰うコンテストである。

このコンテストのレポートは特徴的なもので相手から「信号レポート」にあわせ「その局長の年齢」を送る事になっている。

私の場合は今年は69歳なので「59969」と送る。
(599は了解度5 信号強度9 信号の質9 と言う意味)
ちなみに女性や年齢を教えたくない人は「59900」と送る。

したがって相手のレポートを見ると「どのくらいの年齢の方がアマチュア無線をやっているか?」がほぼ推定できる。

今回私は合計111局の方と交信しレポートを貰ったので分布を調べてみた。

20歳代以下 0名
30歳代   5
40歳代  28
50歳代  40
60歳代  25
70歳代  10
80歳代   3(合計111名)
 
50歳代が最も多く、20歳以下の若い方が居ない。
(日本からは交信対象外の日本人では19歳の大学生が居た!)
平均年齢もっと高いかと思ったが、でも意外と低いと感じかな?
80歳代の元気なおじいちゃんも頑張っていた。

あわせて交信国(地域)別では(111名中)
・米国 34名・ロシア(アジア地区)15名・ロシア(ヨーロッパ地域)13名
・カナダ 7名・ドイツ 5名・フインランド 5名・アルゼンチン 3名
・フィリッピン 3名・クロアチア 3名・オーストラリア 3名
・マレーシア 3名・ハンガリー 2名
以下各1名
・チェコ・オーストリア・イタリア・セルビア・ニュージーランド
・シンガポール・エストニア・インドネシア・スロバキア・スエーデン
・ベラルーシ・ハワイ・マリアナ諸島・オーランド島・マン島
(中国・韓国はあえて交信しなかった。)

やはりアマチュア局数の最も多い米国が多くなっている。
普段もそうだが、結構ロシア関係が多い。
交信相手国は、当局の設備(特にアンテナ)に左右されるので正しい分布ではないが「当たらずとも遠からず!」と言ったところかな?

直接コンテストとは関係ないが、若かりし頃(23歳前後)のシャック(松栄寮)の写真
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おまけ!まだロンが元気だった10歳くらいの写真
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QSLカード

主人のやっているアマチュア無線の場合、相手と交信が成立すると
お互いに交信証(QSLカード)を交換する事になっている。

あるグループからその中で数点、写真を送るよう言われたので
整理がてら、ここにも掲載してみる。
全世界で約300超のエンティティー(国・場所)が有るのだが
主人は現在その内約250と交信しているそうで、どれが一番と言う事は
決められないようだが、取りあえずその一部を選んだ。

No.コールサイン エンティティー(場所)
  交信日 周波数 交信モード
1.JW/SE5E ロングイヤービエンLongyearByen(EU?スバルバード諸島)
2011/05/05 14MHz CW
(NHK/BSで「世界で一番北の国」で放映)
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「クリックで拡大します」
2.ZD9T トリスタン・ダ・クーニャToristan da Cunha(南太西洋)
2010/11/29 10MHz CW
(NHK/BSで「世界で一番遠い島」で放映)
ZD9T.jpg

3.ZD7X セント・ヘレナ島St.Helena Is.(南アフリカ)
2008/07/20 7MHz CW
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4.C91TK モザンビークMozanbique(南アフリカ)
  2008/07/17 14MHz CW
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5.9X0SP ルワンダRwanda(南アフリカ)
  2010/10/19 7MHz CW
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6.PJ4I ボネールBonaire(南アメリカ) 
2010/10/19 7MHz CW
PJ4I.jpg

7.ST0R 南スーダンRepublic of South Sudan(南アフりか) 
2011/07/24 7MHz CW
ST0R.jpg

8.VP8ORK 南オークニー島South Orkney Is.(南アメリカ) 
2011/02/01 7MHz CW
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9.JA1HMK 「おまけ」開局50周年記念QSLカード(2010年) 
1-ja1hmk.jpg

情報過多!?

私のメインの趣味であるアマチュア無線に関しても、それを補助するツールとして今やパソコンでの情報やり取りや情報処理が欠かせない。
(無線をやる時はPCは常に2台動かしている。)

無線のグループだけでも色んなクラブに所属しており、そこでのメールでのやり取り。(数十通/日)
それにロンや無線のことを中心に書いているこのブログ!
無線関係の人と主にやり取りしているTwitter(複数アカウント)
主に昔の会社仲間との連絡に使っているFacebook

・・・とまあ情報に溢れている感じである。

ただ、最近はワンちゃん(ロン)の介護でほとんど外出が出来ず、家の中で無線(モールス通信)をもっぱらやっている事が多くその合間にやる取りする上記各情報は、「過多」ではあるが、一方楽しみでもある。

犬・人とも健康でこれらのツールにお世話にならなくても良いのが一番かもしれないが、これらの情報がなかったら随分つまらない毎日を過ごす事になっていたに違いない。ありがたい事でもある!

無線で活躍している電鍵(KEY)の種類
左が「パドル」=左を押すと短点・右で長点が出るようになっている。通常はこれを使う事が多い。
中が「バグ キー」=短点(左)はバネの力で自動で送出される。長点(右)は押してる間信号が出る。
右が「縦振り電鍵」=最も古くからある電鍵でボタン?を押し下げて短点・長点を出す。
Keys2009.jpg

薬師池公園の花しょうぶ

薬師池公園の花しょうぶが満開との情報があり観に行ってきました。
新聞では「しょうぶ娘」が花摘みしてる!との事だったが、残念ながら今日はいなかった!^_^;

でも、花しょうぶはほぼ満開で平日にもかかわらず多くの方が観に来られていた。
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IRIS20130605b.jpg

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使用前・使用後?

今日病院にトリミングに行ってきました。
行く前と後でえらい変わりようで・・人相(犬相?)が変わりました。^_^;

これから暑くなるのでサマーカットです。
チョッと痛々しくもありますが、久しぶりの入浴でスッキリしました!\(^o^)/

トリミング前
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トリミング後
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一杯のかけそば

杉 注:この話は、いつもためになる話題を送ってくれる友人からの内容で、無断転載では有りますが良い話(フィクション?)なのでお許し頂いて載せます。
以前にも同じ内容の話を友人に送ってもらったことがあるのでおそらく有名なお話だと思いますが、久しぶりに涙腺がユルユルでした。^_^;

<以下、転載>
この物語は、今から15年ほど前の12月31日、札幌の街にあるそば屋「北海亭」での出来事から始まる。
 そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。
 北海亭もこの日ばかりは朝からてんてこ舞の忙しさだった。

いつもは夜の12時過ぎまで賑やかな表通りだが、夕方になるにつれ家路につく人々の足も速くなる。

10時を回ると北海亭の客足もぱったりと止まる。
 頃合いを見計らって、人は良いのだが無愛想な主人に代わって、常連客から女将さんと呼ばれているその妻は、忙しかった1日をねぎらい大入り袋と土産のそばを持たせてパートタイムの従業員を帰した。
 最後の客が店を出たところで、そろそろ表ののれんを下げようかと話をしていた時、入口の戸がガラガラガラと力なく開いて、2人の子どもを連れた女性が入ってきた。

6歳と10歳くらいの男の子は真新しい揃いのトレーニングウェア姿で、女性は季節はずれのチェックの半コートを着ていた。
「いらっしゃいませ!」
 と迎える女将に、その女性はおずおずと言った。
「あのー……かけそば……1人前なのですが……よろしいでしょうか」
 後ろでは、2人の子ども達が心配顔で見上げている。
「えっ……えぇどうぞ。どうぞこちらへ」
 暖房に近い2番テーブルへ案内しながら、カウンターの奥に向かって、
「かけ1丁!」
 と声をかける。それを受けた主人は、チラリと3人連れに目をやりながら、
「あいよっ! かけ1丁!」
 とこたえ、玉そば1個と、さらに半個を加えてゆでる。
 玉そば1個で1人前の量である。客と妻に悟られぬサービスで、大盛りの分量のそばがゆであがる。
 テーブルに出された1杯のかけそばを囲んで、額を寄せあって食べている3人の話し声がカウンターの中までかすかに届く。
「おいしいね」と兄。
「お母さんもお食べよ」と1本のそばをつまんで母親の口に持っていく弟。
 やがて食べ終え、150円の代金を支払い、「ごちそうさまでした」と頭を下げて出ていく母子3人に「ありがとうございました! どうかよいお年を!」と声を合わせる主人と女将。

 新しい年を迎えた北海亭は、相変わらずの忙しい毎日の中で1年が過ぎ、再び12月31日がやってきた。
 前年以上の猫の手も借りたいような1日が終わり、10時を過ぎたところで、店を閉めようとしたとき、ガラガラガラと戸が開いて、2人の男の子を連れた女性が入ってきた。

 女将は女性の着ているチェックの半コートを見て、1年前の大晦日、最後の客を思いだした。
「あのー……かけそば……1人前なのですが……よろしいでしょうか」
「どうぞどうぞ。こちらへ」女将は、昨年と同じ2番テーブルへ案内しながら、「かけ1丁!」と大きな声をかける。

「あいよっ! かけ1丁」と主人はこたえながら、消したばかりのコンロに火を入れる。
「ねえお前さん、サービスということで3人前、出して上げようよ」そっと耳打ちする女将に、
「だめだだめだ、そんな事したら、かえって気をつかうべ」
 と言いながら玉そば1つ半をゆで上げる夫を見て、「お前さん、仏頂面してるけどいいとこあるねえ」
 とほほ笑む妻に対し、相変わらずだまって盛りつけをする主人である。
 テーブルの上の、1杯のそばを囲んだ母子3人の会話が、カウンターの中と外の2人に聞こえる。
「……おいしいね……」今年も北海亭のおそば食べれたね」「来年も食べれるといいね……」
 食べ終えて、150円を支払い、出ていく3人の後ろ姿に「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
 その日、何十回とくり返した言葉で送り出した。

 商売繁盛のうちに迎えたその翌年の大晦日の夜、北海亭の主人と女将は、たがいに口にこそ出さないが、九時半を過ぎた頃より、そわそわと落ち着かない。
 10時を回ったところで従業員を帰した主人は、壁に下げてあるメニュー札を次々と裏返した。

今年の夏に値上げして「かけそば200円」と書かれていたメニュー札が、150円に早変わりしていた。
 2番テーブルの上には、すでに30分も前から「予約席」の札が女将の手で置かれていた。
 10時半になって、店内の客足がとぎれるのを待っていたかのように、母と子の3人連れが入ってきた。
 兄は中学生の制服、弟は去年兄が着ていた大きめのジャンパーを着ていた。

2人とも見違えるほどに成長していたが、母親は色あせたあのチェックの半コート姿のままだった。
「いらっしゃいませ!」と笑顔で迎える女将に、母親はおずおずと言う。
「あのー……かけそば……2人前なのですが……よろしいでしょうか」
「えっ……どうぞどうぞ。さぁこちらへ」
 と2番テーブルへ案内しながら、そこにあった「予約席」の札を何気なく隠し、カウンターに向かって「かけ2丁!」それを受けて「あいよっ! かけ2丁!」
 とこたえた主人は、玉そば3個を湯の中にほうり込んだ。
 2杯のかけそばを互いに食べあう母子3人の明るい笑い声が聞こえ、話も弾んでいるのがわかる。

カウンターの中で思わず目と目を見交わしてほほ笑む女将と、例の仏頂面のまま「うん、うん」とうなずく主人である。
「お兄ちゃん、淳ちゃん……今日は2人に、お母さんからお礼が言いたいの」「……お礼って……どうしたの」
実はね、死んだお父さんが起こした事故で、8人もの人にけがをさせ迷惑をかけてしまったんだけど……
保険などでも支払いできなかった分を、毎月5万円ずつ払い続けていたの」「うん、知っていたよ」
 女将と主人は身動きしないで、じっと聞いている。
「支払いは年明けの3月までになっていたけど、実は今日、ぜんぶ支払いを済ますことができたの」
「えっ! ほんとう、お母さん!」
「ええ、ほんとうよ。お兄ちゃんは新聞配達をしてがんばってくれてるし、淳ちゃんがお買い物や夕飯のしたくを毎日してくれたおかげで、お母さん安心して働くことができたの。

よくがんばったからって、会社から特別手当をいただいたの。

それで支払いをぜんぶ終わらすことができたの」
「お母さん! お兄ちゃん! よかったね! でも、これからも、夕飯のしたくはボクがするよ」
「ボクも新聞配達、続けるよ。淳! がんばろうな!」
「ありがとう。ほんとうにありがとう」
「今だから言えるけど、淳とボク、お母さんに内緒にしていた事があるんだ。
それはね……11月の日曜日、淳の授業参観の案内が、学校からあったでしょう。

……あのとき、淳はもう1通、先生からの手紙をあずかってきてたんだ。

淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、全国コンクールに出品されることになったので、参観日に、その作文を淳に読んでもらうって。

先生からの手紙をお母さんに見せれば……むりして会社を休むのわかるから、淳、それを隠したんだ。

そのこと淳の友だちから聞いたものだから……ボクが参観日に行ったんだ」
「そう……そうだったの……それで」
「先生が、あなたは将来どんな人になりたいですか、という題で、全員に作文を書いてもらいましたところ、淳くんは、『一杯のかけそば』という題で書いてくれました。

これからその作文を読んでもらいますって。

『一杯のかけそば』って聞いただけで北海亭でのことだとわかったから……淳のヤツなんでそんな恥ずかしいことを書くんだ! と心の中で思ったんだ。
 作文はね……お父さんが、交通事故で死んでしまい、たくさんの借金が残ったこと、お母さんが、朝早くから夜遅くまで働いていること、ボクが朝刊夕刊の配達に行っていることなど……ぜんぶ読みあげたんだ。
 そして12月31日の夜、3人で食べた1杯のかけそばが、とてもおいしかったこと。

……3人でたった1杯しか頼まないのに、おそば屋のおじさんとおばさんは、ありがとうございました! 
どうかよいお年を! って大きな声をかけてくれたこと。

その声は……負けるなよ! 頑張れよ! 生きるんだよ! って言ってるような気がしたって。

それで淳は、大人になったら、お客さんに、頑張ってね! 幸せにね! って思いを込めて、ありがとうございました! と言える日本一の、おそば屋さんになります。

って大きな声で読みあげたんだよ」
 カウンターの中で、聞き耳を立てていたはずの主人と女将の姿が見えない。
 カウンターの奥にしゃがみ込んだ2人は、1本のタオルの端を互いに引っ張り合うようにつかんで、こらえきれず溢れ出る涙を拭っていた。
「作文を読み終わったとき、先生が、淳くんのお兄さんがお母さんにかわって来てくださってますので、ここで挨拶をしていただきましょうって……」
「まぁ、それで、お兄ちゃんどうしたの」
「突然言われたので、初めは言葉が出なかったけど……皆さん、いつも淳と仲よくしてくれてありがとう。

……弟は、毎日夕飯のしたくをしています。それでクラブ活動の途中で帰るので、迷惑をかけていると思います。

今、弟が『一杯のかけそば』と読み始めたとき……ぼくは恥ずかしいと思いました。

……でも、胸を張って大きな声で読みあげている弟を見ているうちに、1杯のかけそばを恥ずかしいと思う、その心のほうが恥ずかしいことだと思いました。
 あの時……1杯のかけそばを頼んでくれた母の勇気を、忘れてはいけないと思います。

……兄弟、力を合わせ、母を守っていきます。

……これからも淳と仲よくして下さい、って言ったんだ」

 しんみりと、互いに手を握ったり、笑い転げるようにして肩を叩きあったり、昨年までとは、打って変わった楽しげな年越しそばを食べ終え、300円を支払い「ごちそうさまでした」と、深々と頭を下げて出て行く3人を、主人と女将は1年を締めくくる大きな声で、「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
 と送り出した。

 また1年が過ぎて――。
 北海亭では、夜の9時過ぎから「予約席」の札を2番テーブルの上に置いて待ちに待ったが、あの母子3人は現れなかった。
 次の年も、さらに次の年も、2番テーブルを空けて待ったが、3人は現れなかった。
 北海亭は商売繁盛のなかで、店内改装をすることになり、テーブルや椅子も新しくしたが、あの2番テーブルだけはそのまま残した。
 真新しいテーブルが並ぶなかで、1脚だけ古いテーブルが中央に置かれている。
「どうしてこれがここに」
 と不思議がる客に、主人と女将は『一杯のかけそば』のことを話し、このテーブルを見ては自分たちの励みにしている、いつの日か、あの3人のお客さんが、来てくださるかも知れない、その時、このテーブルで迎えたい、」
と説明していた。
 その話が「幸せのテーブル」として、客から客へと伝わった。

わざわざ遠くから訪ねてきて、そばを食べていく女学生がいたり、そのテーブルが、空くのを待って注文をする若い

カップルがいたりで、なかなかの人気を呼んでいた。

 それから更に、数年の歳月が流れた12月31日の夜のことである。

北海亭には同じ町内の商店会のメンバーで家族同然のつきあいをしている仲間達がそれぞれの店じまいを終え集まってきていた。
北海亭で年越しそばを食べた後、除夜の鐘の音を聞きながら仲間とその家族がそろって近くの神社へ初詣に行くのが5~6年前からの恒例となっていた。
 この夜も9時半過ぎに、魚屋の夫婦が刺身を盛り合わせた大皿を両手に持って入って来たのが合図だったかのように、いつもの仲間30人余りが酒や肴を手に次々と北海亭に集まってきた。

「幸せの2番テーブル」の物語の由来を知っている仲間達のこと、互いに口にこそ出さないが、おそらく今年も空いたまま新年を迎えるであろう「大晦日10時過ぎの予約席」をそっとしたまま、窮屈な席を全員が少しずつ身体をずらせて遅れてきた仲間を招き入れていた。
 海水浴のエピソード、孫が生まれた話、大売り出しの話。

賑やかさが頂点に達した10時過ぎ、入口の戸がガラガラガラと開いた。

幾人かの視線が入口に向けられ、全員が押し黙る。北海亭の主人と女将以外は誰も会ったことのない、あの「幸せの2番テーブル」の物語に出てくる薄手のチェックの半コートを着た若い母親と幼い二人の男の子を誰しもが想像するが、入ってきたのはスーツを着てオーバーを手にした二人の青年だった。

ホッとした溜め息が漏れ、賑やかさが戻る。

女将が申し訳なさそうな顔で「あいにく、満席なものですから」
 断ろうとしたその時、和服姿の婦人が深々と頭を下げ入ってきて二人の青年の間に立った。

店内にいる全ての者が息をのんで聞き耳を立てる。
「あのー……かけそば……3人前なのですが……よろしいでしょうか」
 その声を聞いて女将の顔色が変わる。

十数年の歳月を瞬時に押しのけ、あの日の若い母親と幼い二人の姿が目の前の3人と重なる。

カウンターの中から目を見開いてにらみ付けている主人と今入ってきた3人の客とを交互に指さしながら
「あの……あの……、おまえさん」
 と、おろおろしている女将に青年の一人が言った。
「私達は14年前の大晦日の夜、親子3人で1人前のかけそばを注文した者です。
あの時、一杯のかけそばに励まされ、3人手を取り合って生き抜くことが出来ました。

その後、母の実家があります滋賀県へ越しました。

私は今年、医師の国家試験に合格しまして京都の大学病院に小児科医の卵として勤めておりますが、年明け4月より札幌の総合病院で勤務することになりました。

その病院への挨拶と父のお墓への報告を兼ね、おそば屋さんにはなりませんでしたが、京都の銀行に勤める弟と相談をしまして、今までの人生の中で最高の贅沢を計画しました。

それは大晦日に母と3人で札幌の北海亭さんを訪ね、3人前のかけそばを頼むことでした」
 うなずきながら聞いていた女将と主人の目からどっと涙があふれ出る。

入口に近いテーブルに陣取っていた八百屋の大将がそばを口に含んだまま聞いていたが、そのままゴクッとのみ込んで立ち上がり「おいおい、女将さん。何してんだよお。

10年間この日のために用意して待ちに待った『大晦日10時過ぎの予約席』じゃないか。

ご案内だよ。ご案内」八百屋に肩をぽんと叩かれ、気を取り直した女将は「ようこそ、さあどうぞ。 おまえさん、2番テーブルかけ3丁!」仏頂面を涙でぬらした主人、
「あいよっ! かけ3丁!」期せずして上がる歓声と拍手の店の外では、先程までちらついていた雪もやみ、新雪にはね返った窓明かりが照らしだす『北海亭』と書かれた暖簾を、ほんの一足早く吹く睦月の風が揺らしていた。

<以上転載おわり>

話とは関係ないですが最近のロンです。^_^;
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遊歩道のさつき

家の横の遊歩道の「さつき」が見ごろです。

いつもロンが走り回っていた道ですが、最近は毎日数回抱っこで回っています。
時々下に降りて他のワンちゃんのおしっこの匂いを嗅ぎたがります。
今でも「おいらの縄張り!」と思っているのでしょうかね?

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携帯のカメラでの撮影で暗くなってしまいました。m(__)m