fc2ブログ

JA1HMK RON's BLOG

旧「我輩はロンである」

2013年11月の記事

月命日

早いもので、今日が初月命日です。

今朝も薬師様にお参りし、ロンの事をお願いしてきました。

境内の銀杏の紅葉(黄葉?)がかなり進んでいました。少し遅いかな・・?
P1000289.jpg

薬師池公園内の薬師茶屋で休憩し、甘酒のみながらロンと一緒に来たときのことを思い出してました。
P1000292.jpg


一月になるのですが、未だに癒えません。
特に、最後横に居てあげられなかった・・というのが悔いとなって未だにひいています。
それと、最後は本当に苦しまなかったのだろうか・・?というのも、引っかかっていることです。

特にXYL(家内)は、当日ぎっくり腰で病院にも行けなかったことを酷く悔やんでいるようです。

最後に病院で死なせてしまった!・・と言うのは、結局親の責任で(入院させたので)誰のせいでもないのですが正直、心に引っかかっています。

それで、という事でもありませんが家内がどうしても気になる!・・とのことで、ロンの臨終のとき夜間担当の先生に数日前電話して聞いてみました。

それによりますと、先生が担当した
・10月28日夜~夜間の先生は21時から担当なので、その時刻位?は、寝ていて声をかけたらこちらを向いていた。
 特に異常は無かった。体温 37度(普通は38度前後なので少し低い??)
(親の思い~親と離れると寂しがって激しく泣くはずなのに、やはり元気は無かったのかと思う・・)

・この間の情報はなし!
(多分、夜間診療の対応でよく観察は出来ていないと思われる)

・10月29日 5時30分ごろ
 少し頭をプルプル(痙攣?)させていて、よく観るとゆっくり眼振が確認できた。

・同 6時ごろ(と思われる)
 手足がプルプル(痙攣)してきて眼振も強くなってきた。体温 35度(低い!)

・同 6時35分ごろ
 痙攣が酷くなってきたので、痙攣抑制剤を少し(通常の1/4)注射したら痙攣は治まるも呼吸が徐々になくなってきた。⇒電話で通知した。(6時40分頃と思う)

<以下、杉 の行動>
・6時45分ごろ車で自宅出発

・7時10分ごろ病院到着
 夜間の先生から、早出の先生(水野先生)に代わっていてその先生が心臓マッサージをしていただいていた。
 (まだ身体は、温かかった!)
・7時25分ごろ、これ以上やっても蘇生は無理と判断し、先生に心臓マッサージの中止をお願いした。

・看護師さん(浅沼さん)が「身体を綺麗にしてあげますので少しお待ちください!」とのことでお願いし待機。

・(正確ではないが)8時ごろ棺に入ったロンを受け取り自宅に向かった。

・(正確ではないが)8時30分ごろ、ロンの自宅に到着

<親の正直な思い>
・前夜(28日)の21時以降、本当に問題なかったのか?
・5時半の段階で、連絡してほしかった・・・
・7時少し過ぎに親が着いたのに(おそらく10分前まではいたはずの夜間の先生は)なぜほんの少し残って状況を説明してくれなかったのか・・?

等々、思うところはあるのですがこれ以上言ってもロンが生き返る訳ではなく・・・

今しばらく、辛い日が続きます。
 
スポンサーサイト



1665枚

ロンの生きた証を整理する中で、撮りためた写真が全部で1665枚ありました。
厳密には、多少ダブりも有るかも知れませんが結構な数になっていました。^_^;

2001年  40枚(最初に我が家の住人になった年 10月~)
2002年 211枚
2003年 118枚
2004年  60枚~この前後は、ムービーが多かった?(DVD DL 4枚)
2005年  49枚
2006年  18枚~最初に入院した年(ちょっと少な過ぎ?漏れがあるかも?)
2007年 140枚
2008年 256枚
2009年 192枚
2010年 213枚
2011年 170枚~大震災の年 この6月から手足が不自由になった。
2012年  99枚~以降、寝たきりの写真・・・
2013年  99枚~10月29日死亡
合計  1665枚

最初の日(2001年10月14日)の写真 生後3ヶ月
ろn20011014x

2009年9月ごろの可愛く元気だった頃の写真 8歳
ron090908.jpg

生きているときの最後の写真(2013年10月23日)12歳
ron20131023x.jpg

2006年以降、病気との闘いでしたが、本当に良くがんばってくれました!
いい思い出を、沢山ありがとう!!!Tks RON!CU AGN!

薬師池公園

最近(時間を持て余して・・?)毎朝散歩に行っています。
運動がてら・・ロンの供養がてら・・という事ですが・・

薬師池にはカワセミが住み付いていまして、毎日たくさんのカメラマンが撮影しています。
今日は、久しぶりにカメラを持っていってきました。

カワセミがポーズを取ってくれていました。^_^;
20131126yakusi2.jpg

薬師池公園の秋の風景です。
昨夜の強い風で、だいぶ紅葉も散ってしまいました。
20131126yakusi1.jpg

カワセミを撮影するカメラマンたち
皆さん凄いカメラをお持ちです。
(先日の日曜日には50人位居ました。)
20131126yakusi3.jpg

別の場所のカワセミ
(ピントがいまいち!)
20131126yakusi4.jpg

四七日(しなぬか)

今日は、ロンが亡くなって四週間目(四七日しなぬか)です。
早いもので、もう1ヶ月近くなりますが、寂しさ・虚しさは一向によくなりません。

毎日、散歩がてら薬師池公園のお薬師様にお参りし「ロンの面倒みてやって下さい!」とお願いしています。
皆と仲良くしてもらってるのだろうかと・・・つい思ってしまいます。

200904151307001_20131125143807825.jpg

来週(12/2)は三十五日、12月16日は四十九日です。

昭和記念公園に行ってきました

今日はロンの三七日(みなぬか)です。早いものです。

供養をかねて、ロンが元気なときよく行った立川市の国営 昭和記念公園に行ってきました。

<昭和記念公園でのスナップ集です>

1回目2002.5.12 家に来て半年ぐらい 1歳前 昭和記念公園の大広場で!走りつかれて・・・
~この日は、何かの記念日で、大人数(200人くらい?)のブラスバンドが演奏してました。
20020512c.jpg

2004.11.18 3歳 昭和記念公園の休憩場所で、おねだり中
20041103x.jpg

2006.11.17 5歳少し。この頃に最初の病気になりました・・・^_^;
ron20061122z.jpg

<今日の昭和記念公園>
2013.11.18-1  いちょう並木が綺麗でした。
残念(当然)ながら、ロンはもう写せません!
至る所で、元気な頃のロンの仕草(かけっこ!おしっこ!・・等)を思い出し涙が出ました。
20131118昭和公園2

2013.11.18-2 日本庭園も紅葉まっさかり!
20131118昭和公園4

2013.11.18-3 紅葉がまっ赤でした!(日本庭園内)
20131118昭和公園3

ロンのにおい!

ロンのにおいが最近思い出せない!

ロンが元気な間は、動物なので「それなりの独特なにおい!」がしており、(飼い主しか理解できないと思うが)結構「独特な良いにおい」だった(・・と記憶している)。

ところが、ロンが亡くなって一生懸命ロンのにおいを思い出そうとするのだがしっかりと思い出せないでいる。
今、思い出せるのは残念ながら、ロンを荼毘にふした火葬場の独特な匂いである。

ロンが夜一緒に寝ていたベッド(座布団+α)や、お気に入りでいつも居た無線室の特製ベッド、車の助手席との間に作った専用ベッド・・等々未だに片付けきれず、そのままになっているのだが、それらを嗅いでも良く思い出せない。
(別に「変態」ではないのですが・・・^_^;)

荼毘の時の思いが強烈過ぎて、思い出せないのかも知れない。
そのうちに「ああ!このにおいはロンの匂い!」と思い出せる日がくることを期待している。


ロン 2011/5/17
ron20110517h.jpg

ゴルフの練習

久しぶりにゴルフの打ちっぱなし!に行って来ました。
練習場の回数券のスタンプをみると最後に行ったのが2011年4月で震災の直後だったようですから、約2年半ぶりになります。

ロンも、その当時はまだ歩けていましたが、直後の2011年6月頃から歩けなくなりました。

ゴルフのほうは、心配していた道具(クラブ)は幸いにも腐ってませんでしたが、腕のほうはすっかり腐ってました。^_^;
最初のうちは、ほとんどまともに当たりませんでした。

久しぶりの運動だったので、明日あたり「筋肉痛」だと思います。

暫く、運動らしいことはほとんど出来ておらず、先日 血液検査でコレステロール値が基準より悪かった事もあり、メタボ解消のため運動をボチボチせねば・・と思います。


2012/2/12のロン(動けなくなって半年。いい夢でもみていたのでしょうか?笑っているようです!)
ron20120211.jpg

OB会

先日(11/9)以前勤めていた会社の入社当時(約50年前)のメンバーが集まることになり大阪に行ってきました。

実は、この計画は約半年くらい前に企画され決まっていたのですが、私も「言いだしっぺ!」の一人として気になっていました。
ただ、ロンが調子が悪く、直前まで「出席できないだろう!」と諦めていたのですが、直前にロンが亡くなって出席できることになりました。
「久しぶりの会だから、行ってきなさい!」と言ってくれたように思います。

入社当時のメンバーとは、一部の方はその後も同じ会社ですからどこかでお会いしている方も居たのですが、中には「約30年ぶりですね?」・・と言う方も居て懐かしく、楽しい時間を過ごさせて頂きました。

OBの皆さん、ロン ありがとうございました。

出席者
P1020075.jpg


2011/11/22足が動かなくなって直ぐの頃のロン
ron20111122.jpg

おねがい!

ロンのことを「クドクド」と書いておりますが、適当に読み飛ばして(あるいは読まないでパス)ください。

ロンが生きた証を記録したくてしつこく書いています。
(書かずに居られない・・のも、正直な気持ち!)

いずれ、本ブログは記録として「塩漬け?」するか、「題名を変更して続けるか!」致しますが、しばらくの間「ロンの最終章」として書いていますので、すみません。

書いても書いても、悲しみは癒えませんが・・・^_^;

2013/3/11
ron20130311.jpg

ロンの病院、最後の?訪問

ロンの病院、最後の?訪問・・・だと思いますが、ロンが今まで使用していたタオルとか毛布とか多量にあるので、確認したら「是非病院で使いたいのでよろしく!」とのことでしたので届けてきました。
大きな紙袋、2袋分ありまして看護師さん(最後を見届けて頂いた浅沼さんが丁度居られました!)に受け取って頂きました。


実は、ロンが最後に息を引きとった時に立ち会っていただいた、水野先生にお礼と「最後のときの様子!」をお聞きしたかったので訪問したのもあります。

お話では、水野先生がたまたま7時からの早出で、夜間専門の先生から引き継いで立ち会って下さったのですが、その時には既に心臓も停まっていたようです。
ただ、夜間の先生からの引継ぎでは「朝方、痙攣が起こったので暫く様子を観たが、再度起こったので痙攣抑制剤を注射した段階で、スーッと眠るように穏やかに死んだ!」とのことでした。

「特に、苦しんだ様子は無かったそうです!」とのことでした。
痙攣が起こっていた訳ですから、少しは苦しくはあったのでしょうが「苦しみもがく!」様なことは無かったようなので、お聞きして少しは安心した次第です。
(このような場合、なかなか先生も「苦しかったと思います!」とは言えないでしょうから、それなりにお聞きしておく必要はあると思っていますが・・)

いずれにしても、残念ながら「腕の中で死なせてあげたい!」希望は叶えられませんでしたが、私が病院に着いたとき水野先生や浅沼さんが必死に「心臓マッサージ」をして頂いてましたし、その時はまだ充分温かさも残っていたので「よし!」とせねばならないでしょう。


少し残念なのは、私が病院に着いた7時15分にはもう、夜間の先生はその場に居られず(帰ってしまった?)様子を直接聞けなかったことです。
少し(多分15分くらい!)だけでも残って、最後の様子でも報告頂けたら良かったのに・・とは、正直思いました。
その先生は、夜間専任なので夜に行ったらお会いできるとは思いますが、お話を聞いても「せんない!」事なので、そこまではする積りはありません。


亡くなって15日、少しは落ち着いてはきましたが、前にも言った様に「手持ち無沙汰!」で、色んな所に行くたびロンの動きが思い出され、切なく悲しみは消えません。

2004年8月(3歳)昼寝?
20040814a.jpg

先生にお礼に行って来ました

遅くなりましたが、ロンが具合悪くなった6歳前後からお世話になっていた「王禅寺ペットクリニック」の佐々木先生にお礼を言いに行って来ました。


当初、近所の病院にお世話になっていましたが、最初に手足が麻痺したとき対応がイマイチで、ワンちゃん友達の奥さんにご紹介頂き行ったのが最初です。

直ぐに、「難病(結果、脊髄空洞症と判明)」のため、麻布大学動物病院を紹介頂いて以来、24時間診療との安心感もあり、結局亡くなるまで一般診療のお世話になりました。

人(犬)生の半分以上、お付き合い頂いた事になります。
最初は短期間、別の先生だったのですがその先生が退職され、その後は今回までずーっと佐々木先生にご担当いただきました。

本当にありがとうございました。
お礼は、言葉では言い尽くせません。親身になって診て頂きました。
病院でもNo.1の先生ですので、待ち時間が長いのが難点でしたが・・・^_^;

「最後に、親の腕の中で・・が、叶えてあげられず申し訳ないです。」と泣いて言ってくださいました。
こればかりは「運命」ですので、止むを得ません。(病院に着いたとき、未だ充分に温かかったのが救いです。)
反省は、むしろ親のほうがせねばならないのでしょう!

佐々木先生、水野先生、福沢先生はじめお世話になった先生方、いつも我侭なロンを笑顔で相手頂いた浅沼さん、トリミングで無理を言った橘川さん、最後に顔のカットをして頂いた金田さんはじめ看護師の皆さん、いつも病院にいったらお気遣い頂いた駐車場のご担当の広瀬さん・・・本当にありがとうございました。

ロンも喜んでいると思います。


2013年4月 庭の牡丹の花の前で!
ron20130423_201311081844417b0.jpg

手持ち無沙汰!

ロンが逝ってしまって少し落ち着いたら、やたらと「手持ち無沙汰!」を感じています。

5,6年前から「いつ病院に駆け込まなくてはいけないか?」わからない状態が始まって家を空けられなくなり、約2年前からは手足が不自由になり、寝ているだけではご機嫌が悪く、ほとんどの時間「抱っこ!」し続けてきました。

10月からは「黄だん」の症状が出て、毎日「点滴」に通っていまして、ここ暫く自分(両親)の時間・行動は「全てをロンのために!」状況だったので、いざロンが手元にいなくなると「何をしよう!」状態です。

かといって、趣味の無線をやる気も(イマイチ)おきず、暫くやっていなかったゴルフの練習にも気乗りせず・・・
何せロンが我が家の一員になり12年少し・・・急にいなくなった後の生活パターンがなかなか定まりません。
もう少し時間がかかるんでしょうね?


若い頃(2007年 6歳)くらいのロン(服がダブダブでした)
20071201a (2)


最後の誕生日(2013年7月7日12歳)・・悪いなりにもまだ元気でした。
ron20130707z.jpg

だいぶ、落ち着いてきました!

初七日も終え、「日にち薬」もあってだいぶん精神的に落ち着いてきたように思います。
(家内は、未だ少し引っ張って?いる感じですが・・?)

亡くなって数日は、何を見ても何を聞いても「ロン」に結びついてしまい思わず「慟哭する!」感じでしたが、少しは冷静になれるようになってきたように思います。

不思議なことに、ロンの若い頃の写真と最近の闘病中の写真を見た場合、最近の写真のほうが「つらさ!」を余計に感じます。
生々しくて、身につまされるからなんでしょう!

ここ2年ほどは「寝たきり!」でしたので、元気だった頃のイメージはどうしても薄まっており、これがつい最近まで元気に走り回っていて死んだら、余計に大変だったでしょうね?

でも、未だ最後に寝ていたベット(座布団)や、シャック(無線室)の特製のベット、自動車の助手席との間に作った特製ベット・・等、なかなか片付けられません。


2013年8月8日無線室のベットにて!
ron20130730.jpg

初七日

ron20131104.jpg

早いもので、もう「初七日」です。
いつもの散歩コースをめぐって、好きだった「おやつ」をいっぱい買ってきてあげました。

得意の「別腹?」で食べてね?

良くがんばった!ロン

今回ロンが亡くなって、病院の先生や看護師さん、いつもワンちゃん仲間でお付き合い頂いたご近所の皆さん、多くの友人が言っていただく言葉が「ロンちゃん、本当に良くがんばりましたね?」・・です。

「脊髄空洞症」で手足が不自由になったり(一旦回復!)、脊髄ヘルニアですごく痛がった時期があったり、血便を出したり、ホワイトシンドロームとかで痙攣を起こしたり、2年前からはいよいよ手足が動かなくなってしまったり・・
今回も、10/3から「黄だん」が酷くなり毎日100cc(本数で約10本)を超える注射(点滴)にも耐え、確かに良くがんばってくれました。

飼い主から見ると、まだまだしてあげられた事が有ったのではないかとの思いや、もっともっと長生きしてほしかったのですが、考え方によっては「充分!」だったのかもしれません。

皆さんの言われるように「ロン、本当に良くがんばったね?」と言ってあげたいと思います。

今は家の祭壇で皆さんから頂いた、溢れるような花に囲まれ静かに眠っています。

2008/10まだまだ元気だった頃の「凛々しいロン」
ron20081029b.jpg

ロンとアマチュア無線!(その1)

ロンが我が家に来て(2001年10月)暫くして主人が長らく休止していたアマチュア無線を再開しました。
(主人の無線のニックネームはそのためにRONとなりました。)

そのため、無線を始めてからの様子ををロンはよく知っており、無線をやっている間主人の腕の中か、その後作った「特製ベット」のなかでよく運用の主体だったモールス符号を聞いていました。

好きだったかどうかは解りませんが、いつもおとなしく聞いてくれていましたので「きっと、好きだったに違いない!」と思っています。^_^;


主人が永年勤務していた会社を定年になった時期(2002年2月)と、ロンが我が家に着たのはほぼ同じ時期でした。

ロンにべったりだった主人とは、ほとんど一緒にいることが多かったので、多くの時間をシャック(無線室)で過ごすことになりましたので、否応なしにロンもモールス信号を聞かされていたと思います。
良く付き合ってくれました。


ロンが亡くなって暫く何も手がつかない(ペットロス症状?)状態の真っ只中ですが、今日はブログの友達からも「モールスでロンちゃんを元気付けて!」とのお言葉も頂きましたので、所属している無線クラブ(A1クラブ)の交信会(OAM)にお声掛けしました。

ロン!・・少し緊張したが聞いてくれたかな?

ロンとはいろんな思い出がありますが、また落ち着いたら「感謝をこめて」書き込みをして、どこかで区切ってこのブログも終了したいと思います。


ロンが我が家に来た最初の日の写真(2001年10月=7月7日生まれなので3ヶ月でした。)
初おめみえ1

このブログに最初に登場した写真(2004年4月撮影)
自画像


最近(2013年8月)の写真
P1000266.jpg

ロンの最後の数日(備忘)

ロンの最後の数日(備忘)

10月はじめから「黄だん」の症状が出て毎日点滴に通っていたが、残念ながら10月29日朝永眠しました。
亡くなった日の前後の様子です。備忘のために記載しますが読み飛ばしてください。


2013年10月26日(土)
朝、少し遅めに起床してロンの通院の準備しているとき女房が
「ロンの様子がおかしい!」と呼ぶ!
観ると、口をパクパクするように痙攣が起きていた。
慌てて私が抱き上げたら、痙攣は治まった。

そのまま準備をして、9時くらいに家を出て病院に向かった。
9時30分ごろ病院に到着したとき再び痙攣が起こったので
慌てて看護師さんにお願いして緊急受診をした。

主治医の佐々木先生はお休みの日(土日)だったが、幸い過去に
何度も診てくれている水野先生が診察くださり
「眼振も起こっている。危険なのでこのまま病院で預かろうと思うが?」
との事で、入院の手続をして(両親は)帰宅した。

12時過ぎ、水野先生から心配しているだろうからと電話頂いて
「血管からの点滴を少しずつ行っている。小型犬は普通10cc/分だが8cc/分で
徐々に行っている。だが、11時5分ごろ再び痙攣が起こったので、
痙攣抑制剤?を注射したところ、今は落ち着いている。
ゲージを覗くとこちらを見ているような感じ。
また夕方様子を観て電話する。」との事でその折に今夜以降の
相談をする事とした。

17時、水野先生より電話「午後は痙攣も無く安定している感じ!
今夜は連れ帰って明日また通院するか、今夜一晩泊まって様子を観るか?
飼い主さんのご判断で・・?」との事。迷うところだが
「何が有るかわからない状況なので、今夜はお預けして様子を観たい!」
旨お願いした。
緊急時は、夜間の先生が連絡をくれるとの事。

明日は水野先生は11時からの診察日(主治医の佐々木先生は明日もお休み)
なので、昼ごろにお伺いして、今後のことを相談したい旨伝えた。

2013年10月27日(日)
12時、水野先生を訪ねロンと面会
「昨日の11時の痙攣以降は落ち着いています。」との事。

「このまま連れ帰っても良いし、今点滴中でゆっくりやっているので
夜に再度迎えに来られるのもよし!」との事で、夕方再訪することとした。

17時過ぎ電話があり、「落ち着いているので迎えに来てもよい!」
との事で、迎えにいって連れ帰った。

夜は寝るのが少し遅くなったが、22時ごろ鎮静剤なしで寝せかけたが
少し寝ては起きる感じでなかなか寝ないので結局鎮静剤を0.15ml飲ませて寝せた。

朝(2013年10月28日)3時ごろ眼振が起こっている気がしたので慌てて
起きたが、ウンチをしていたのでそれを訴えていたのかもしれない!
と判断。そのまま、あまり寝られない様子だが朝まで過ごす。

2013年10月28日(月)
家内がぎっくり腰で動けなくなって、一人で車に乗せ通院
佐々木先生は7人待ちだったが「昼間預けたほうが良いか相談したい!」と
割り込んで、診て頂いたら「眼振が起きてる!」との事で、預けて帰ることにした。
夕方、電話で相談することとした。

帰りに、野津田病院によってロンの好きだった「じゃこ入りクッキー」を
かって、以前トリミングでお世話になっていた萩原さんに状況を説明した。
涙が出て話が出来なかった。(萩原さんも泣いてくれていた!)

夕方、佐々木先生より電話、「比較的落ち着いている。
連れ帰っても良いが、どうします?」との事。

何か起こったときに緊急な処置が出来ないといけないので、そのまま
入院することとした。
明日(10/29)昼ごろに電話して相談することとした。


2013年10月29日(火)
朝6時40分くらいに電話!「息が止まって、現在心臓マッサージをしている。
直ぐ来られるか?」との事で、バタバタと準備し親爺だけ(母、動けず)
車で向かった。

7時15分ごろ到着すると、早出の水野先生と看護師の浅沼さんが
心臓マッサージを続けて下さっていた。
でも、その時は既に「心肺停止」状況だった。

体はまだ、充分に温かかったがもう蘇生は無理と判断。
先生に「ありがとうございました。もう心臓マッサージは結構です。」と
お願いした。

その後、綺麗にしてあげたいので暫く待ってお棺に入ったロンを連れ帰った。

その日は、自宅でいつもの布団に寝かしてあげた。
かえって直ぐは、いつも抱いて散歩していた近くの遊歩道や小公園に
連れて行ってあげた。
その後、いつも無線を聞いて比較的居るのが好きだった主人のシャックの
専用ベットに寝かせて(聞こえないかもしれないが)モールスを聞かせてあげた。

葬儀を病院から紹介された王禅寺の「平和会ペットメモリアル(延命地蔵尊)」
で行うことにし、連絡・相談した。
荼毘は明日(10/30)午後3時からとなった。

良くなついていた子供(二人)にメールし「夜来れたら会いに来てあげてほしい!」
旨連絡をした。

夜、仕事が終わって康浩と直人一家(久美子さんも)来てくれて
ロンに最後のお別れを言ってくれた。

夜は親子3人で、いつものように「川の字」で寝た。

2013年10月30日(水)
朝からお棺に生花を切って敷き詰めてあげて祭壇にお祭りした。
お向かいの遠藤さんが尋ねてくれたので様子を話たらお花を備えて頂いた。
(他の皆さんには、迷惑と思い特に連絡入れなかった!)

PM1:30自宅から葬儀場(上記)に私・女房と一緒に出発した。
遠藤さんの奥様が見送ってくれた。

PM4:00ごろ、斎場でお別れして荼毘にふした。
ほんのわずかな白い骨になってしまったが、担当の方は
「とてもしっかりした骨です。」と言って頂いた。
骨壷に女房と二人で納骨しもって帰った。

帰りに、お世話になった病院にに寄って最後のお支払いをしてきた。
丁度、死に際を見届けてくれた水野先生や、いつもトリミングをお願いした
看護師の橘川さん、駐車場係でいつも気に掛けて下さった方ほかが居られ、
お礼を言った。
佐々木先生はお休みなのでまた改めてお伺いする予定。

お骨は当分自宅で祭ってやることにするので帰って祭壇に安置し
お線香や、好きだった食べ物・お花を飾ってあげた。

以上、ロンが最後を迎えた日の前後の様子(備忘)です。

ロンも小さい身体で、大病と闘いよくがんばってくれました。
杉家の一員になってくれて、本当にありがとう!
また、来世で会おうね?

お世話になった方々には、本当に感謝申し上げます。
ありがとうございました。

ロン生前最後の写真です。(10/27)
ron20131023Last1.jpg

ロンの自宅安置の様子(30日朝)。
まるで、まだ生きているようでした。
ron20131030b.jpg


荼毘にふす前、斎場での様子です。
(写真はNGだったのですが、1枚だけ特別に許可いただきました。)
特製の棺おけに納棺してお花を一杯飾って、家族で一緒にとった写真と
病院で7月に頂いた「表彰状」の写真を一緒に入れてあげました。
ron20131030a.jpg